2007年6月11日月曜日

6月9日 -貧困関係集会

6月9日に、貧困関係集会に参加しました。

日本でも、貧困の人々がいることを知って、少し不思議に思いました。
日本は平均的な人々が多くいることが知ったところと同じように、なぜそうなったかはわかりませんでした。

不思議な国に、不思議な人々がまた貧困から脱出するために、人々を呼び掛けています。
これを見たら、なんだか哀れな気分になりました。
いくら努力しても、変えられない景況があることを知って、私の信念も揺らぎました。

富を築いた人と、富から遠ざかっている人々と、生存の意味から、何が違うのだろうか?
本当に楽しく生きられるのなら、いいのでしょうか?

欲望って、育てるほうがよいか、なくすほうがよいのか。

社会が一番望ましいあり方って、何だろうか。

宇宙の中で、一瞬に消える我々は、どうもこの何千年の間で、文明を築き、社会を発展させ、
分業し、専門化し、人の中に類と階級を作り、今になってまた、階級をなくそうとする動きが出ました。

私より若きでいながら、経験と富を築いた人々を見たら、悔しくて、うらやましくて。
私は、この社会の中に、なにになるのでしょうか?

自分の生活しか考ないと、貧乏と不幸と戦う人になってしまいます。
みんなの生活を考えると、Societyの貧困と権力の闘争の前線に立つ人になってしまいます。
世界の未来を考えるなら、みんなに夢を与えて、知識を伝えて、自分を犠牲するまで、みんなの力になり続けるひとになります

なるほど、と私が自分の言葉に納得。
人間は神ではありません。しかしある品格を持っていることで、神と認められることがありえます。
自分がどんな景況にあれ、聖なる考え続けると、尊敬できる人間になれます。
自分がいま、手に入れていない富など、自分のいる状況など、幸せでないなど、考える必要がなくなります。

仏教の、「静で動を制する」ことは、いつも変わらない自分の原則であり続けることで、
自分の品格を高め、優雅な人生が送られるようになることではないでしょうか?

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