2013年8月4日日曜日

20130803Diary

20130803Diary
ブログを再開しなきゃ。
(DreamGate-Adセミナー所感)

<気になる項目一覧>
1. 尊敬できる人の要素> 自分はどんなビジョンを持つべきか。 (どんな道を歩むべきか)
2. 統計的に人間はどんな反応を示すのか > (放っておけば)社会はどんな方向に進むか。

<事実>
1. 今日は楽しいバーベキューだった >> 人は(気軽な雰囲気の)交流から楽しさを実感できる。
2. 自転車で(二俣川駅)から(大場坂上バス停)まで、自転車が50分に走る距離 >> 20kmの距離のため、分速0.4km。つまり60秒間に400mの速度だ。(時速: 20/5*6=24km/h) 坂あり、道が不明のため結構早いと言えるでしょう。
3. 酒を飲んだ ?酒のせいか>> 気持ち悪い >> もう酒を飲んで運動しないようにする。

ネコをみた。
書こうかな、ネコの日記。
ネコたちは本当はどんな気持ちだろう。
のんびり暮らしているのかな?おどおどして、明日の食事を心配しているのかな?

水をのもう。
水を飲んでアルコール分解に必要な水分んを補足しよう。前持ってだけど。
少しは良くなった。... 気がする。(体を起こしたおかげかな?)

... 人間って、結局、無力を認めて、辛抱しなければいけないのかな? (このような言い方、数多く拝見んする。例えば、人間は苦労して始めて成長するとか、諦めて始めて見えることがあるだの)
=> 本当にそうかな?
どうしても信じられないけど。
そんなの、寂し過ぎるの。そうじゃない?
=> だがひとがそういうのに理由がある。
自分の限界が見えて、無理しないことを思い知らされた、ということではないでしょうか。
限界、何度も、何度も、どんな風に頑張っても、いろんな手段を買えても、どうしても越えられない限界を知ることは、本当にそれほど大切なのかな?
無理しないことは、確かに「賢く生きていく」上でとても大切であろう。しかし、逆のこと、自分の限界をあまり知らないひと、になっても良くないでしょうか。精進できるもの。ただ、限界があるのを忘れて、大失敗を食らうことは大いに予想できる。(やはりどうしても必要なのか、それとも抑えきれない必然的な自然の流れでしょうか。)

私の信じること、頭の良い人間は行動を多く起こすひとである。
これは、脳科学からも証明されたものだ。(脳科学から勉強したことだ。)
前頭葉の発達は、人間の自発的な行動を促す。衰退した前頭葉は、人間を尻餅させて、自然に後ろ向きになってしまう。どの場面でも。(仮説: 背極性にはそれぞれの分野が存在する。人によって、前頭葉の発達分野は違ってくる。対人積極性、好奇心積極性、整理積極性など、全部前頭葉由来の積極性かは不明だが、分野は別れている気がする)
よって、限界を感じていたら、しかも脳がそれを認めていたら、別の意味(真の意味)で(心理側面)の限界は発生してくる。それで、自発的な努力は抑えられてくる。ネガティブな働きの気がするが、どうしてそれを成長と言えるのだろう。

また、限界を知る意味の一つは、社会的な意義、他人の苦労を分かち合える、ことにあろうと思う。
人間の脳は、他人に共感するミラーニューロンが存在する。それを使って他人の経験を見聞きするだけで、感情移入ができ、社会により合理的な行動を促すでしょう。ただ、自分が同じような経験をしていないと、、たとえ他人の経験を見聞きしても同じ感情が引き起こされない。このことも脳科学で証明されている。
よって、他人は限界を知るほどの苦労する苦い経験に対して、運か不運かそれを経験していない人は、全く同じ感情を経験したことがないため、感情移入ができないということだ。
このことは、広義的に「成長」と言えなくはないが、一つの考え方、世界にすべてその経験を持っている人ばかりではなく、他の種類(エリート)もいるのだ。それで、一旦それを経験すると、経験していない人(エリート)の気持を逆に理解できなくなるのだ。
つまり、極端にいえば、大多数(ほとんど)の人に適しようとすると、天才(エリート)の輪に入れなくなることだ。もちろん、偽りの自分のツールを使い、うまくごまかすことができると思うが、真の意味の友達にはなれないでしょう。
とは言え、エリートたちは、自分らが少数であることがわかっている。彼らの対応も極端にならないでしょう。気づかなければ、普通のように見えるでしょう。
ですが、統計的に、「類は類を求める」ため、エリートからは、大多数の人に適しようとする人間を求めなくなることだ。
それで、本当に良いのか?

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とは言っても、本当に「一つの考え方」はあっているか、つまり大多数人とエリートはそこまではっきり線引きできるのかは、まだ検証されていない。
よって、まだ検証が必要である。確かな検証はできないかもしれない。だが、事例に基づく検証はできるはずだ。つまり優秀な(なりたい)人の行動をみて、彼はどんな経験を持っているか、どんな風に周りの人を理解しているかを理解し、結構高い確率で上記の設問を検証できるだろう。
>> 線引きできる場合、自分はエリートに属すように努力を重ねる。線引きできない場合、地道に努力し大多数の人間と同じようになる。つまり精一杯努力して悔しい思いをする。無理だとわかっていても、我武者羅に努力して汗をかいて失敗する。この努力は必要でしょう。(なければ一生認めてくれないだろう)

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もともとこの問題を議論する意味がないかもしれない。なぜかというと、
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